会津というまち
会津若松は高校まで過ごした私の故郷です。
子供のころの思い出は、とにかく”雪”です。
朝になると、二階まで雪が積もっていて、サッシが凍って空かないので、
お湯を沸かしてサッシのレールを溶かすことから始まります。
屋根から地面に穴をあけるような勢いで氷柱が一晩で成長するので、金属性のスコップでそれを砕きにかかります。
小学校に通学するにも一階から外に出られないので、二階の窓からスキーを履いて地面までたどり着いたのを覚えています。
そんな会津の冬なのですが、なぜか半ズボンで過ごしていました。
「寒さには強いのでしょう」とよく言われるのですが、関東に住むようになって、とても寒がりになりました。不思議なものです。
高校は、地元の進学校に入学したのですが、毎年東大合格者を出しているような高校ではありますが、とにかくバンカラな男子校でした。あの当時は、それが普通といいますか、そういうものだと思っていたのですが、大人になっていろいろな方にその当時のお話をすると、びっくりされるので、こちらがびっくりでした。
會津藩校である日新館は、孔子の教えを礎にしておりますので、私の通った高校では、高校のすべての施設に「学而」という言葉がつきます。
講堂は学而(がくじ)会館、なんと敷地内にある池も学而(がくじ)池と呼んでいました。
そして、教えられたことはこれだけです。
ならぬことはならぬ
まけてはなりません
今となっては時代遅れと言われるかもしれませんが、今の私もその時代遅れのまま大人になり、今を生きています。
さて、会津のまち、ですが、行かれた方はわかると思いますが、とても不思議な空間です。
まずは、道路です。とにかく運転手泣かせで、一方通行だらけ。さらには武者隠しと言われる道をそのまま道路にしているので、交差点の先に何があるのかが見えないのです。
言い方を変えれば、視界が開ける度に、新しい街並みとの出会いがあります。
そんな道と当たり前のように一体化しているいわゆる蔵造のまちなみが続く中で、ふっと大正建築が現れます。
それがなんといいますか、人工的には再現できない新しさを感じるのです。
そんな会津のまちも老朽化が進み、地場の伝統工芸も衰退し、まちの元気も落ちるところまで落ちていた時期がありました。
そんな中、地元有志に加え、外部から多くの方がまちづくりに参加し、今ではまちづくりの事例として常に名前が挙げられるような活動が長い間行われ、とても素敵なまちへと生まれ変わっています。年に一度は、墓参りに帰省しますが、「なんかかわったね」とは思いません。
「あ、なんかよくなったね」と思うのです。
何も変わっていませんが、素敵に変わっている。矛盾している言い方かもしれませんが、そんなまちです。
みなさんも機会があれば、ふらっと散策してみてください。
観光ガイドマップを持たずに、城下町をふらふらと歩くのも面白いとおもいますよ。
私は、直接的に、ふるさとのまちづくりには関わってはおりませんが、
いつか、なんらかのかたちで関われればいいな、と思っています。
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