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Be water my friend 常に変化し続けること

 Be water  順応性を持つこと、変化し続けること 昨年の12月27日、他のSNSで同じようなことを投稿したのですが、 その日は、私が尊敬してやまないブルース・リーの誕生日でした 子供のころ、燃えよドラゴンをみて、脳幹に衝撃を受けたわたしは、 新聞紙を固くまるめてヌンチャクをつくり、猛練習をしては親の前で披露していました そのうち、ブルース・りーくんと呼ばれるようになったのです なぜこの歳になってまで、どっぷりとはまっているのかというと 彼は、映画スターであると同時に、偉大な武術家であり哲学者であるからです そして、私の人生に大きな影響を与えてくれたからです もともと詠春拳を習っていたブルース・リーは、その後、振藩功夫(ジュンファングンフー)を経て、截拳道(ジークンドー)を体系化しました ジークンドーは、ボクシングとフェンシングをベースとした超実践的な野戦を想定した武術であり、テッド・ウォン氏に継承され、現在の継承者は日本人のヒロ渡邉氏です このあたりを書きだすと、文章が永遠に止まらないのでこのくらいにしておいて 本題のBe waterである。 “Empty your mind. Be formless, shapeless like water. If you put water into a cup, it becomes the cup. You put water into a bottle and it becomes the bottle. You put it in a teapot it becomes the teapot. Now, water can flow or it can crash. Be water my friend.” - Bruce Lee これは、ブルース・リーの言葉である 頭を空っぽにしろ 水のように形をなくせ 水をカップにそそげば、水はカップの形になる ボトルにそそげば、ボトルの形になる ティーポットにそそげば、ティーポットの形になる 水は静かに流れることもできるし、ものを砕いたり壊したりもする。 友よ、水になれ これは、彼のジークンドーの哲学そのものである 人生、うまくいかないことだらけだし、想定外のことにもぶち当たることもしばしば そんな時、初志貫徹で挑むことも当然ある しかし、うまくできなかった時に自分を責め

第一期を振り返り..脱サラから起業に至るまで 自分らしく生きる 自分の市場価値は

 そうだ、独立しよう そう思ったのは、独立する1年以上も前のことでした。 大学を卒業してから、コンサルタント、シンクタンク業界に身を置き続けてきた私は 市場の中で、自分の価値がどれほどのものなのか それをずっと自問自答してきました 会社が持つ集積の力、ブランド力、 それを自分から剝ぎ落した時、オノレの価値は、力はどれほどのものなのか 誰も見向きもしないのか.... 一方、シンクタンク業界も徐々に、いや急激に、かもしれません 働き方が変化していきました もう20年以上も前でしょうか 同僚とともに、夜食を食べにいき、オフィスに戻って仕事をする クライアントから急なお誘いがあり、居酒屋まで出かけた後にオフィスに戻り仕事をする そんなことが日常でした 当然ながら帰りもほぼ毎日が終電で、土日もふらっとオフィスに顔を出し そのまま仕事をして帰る オフィスは不夜城化していました つまり、生活と仕事の境目がなく、夜寝ていても夢の中で分析フローを考えていたり しかし、働き方改革やコンプライアンス時代の到来により 生活と仕事を明確に分離することが規則として厳格に求められてるようになりました 私たち、コンサルタント・シンクタンクの古い体質の人間としては とても生きにくい世の中になったのです そして、私の最終キャリアは、 規則として社員に厳格さに求める側の役員となったわけです このことを否定しているわけではありません 時代潮流として、組織としてあるべき姿としては当然のことです しかし、私にはまだまだやりたいことがたくさんあった そして、自分の価値を自分の力で確かめたかった 幸いなことに、私が最も信頼する後輩に研究現場は任せることができたので 経営陣に退任の意志をお伝えしたわけです 自分らしく生きる 2023年5月に鍬型研究所 同年6月に一般社団法人タガヤスを設立しました これは、独立したらこうしよう、と決めていたことです しかし、同時期に2つの会社を設立して軌道に乗せることは、想像以上に険しい道でした 経費の精算や税務処理、その他会社経営に関わるすべての業務を行いながら リレーションを広げ・深め、仕事を獲得して施工する 忙しさからすれば、過去最高だったと思います 私は、前職を退任する頃、適応障害に悩まされ、投薬もしていました しかし今は、快食快便、血液検査も過去最高のデキ 物音に過敏に反応

住生活基本計画と空き家特措法と空き家等対策計画

 空き家特措法から10年 ~管理の重要性~ 空家等対策の推進に関する特別措置法(空家特措法)が制定されてから10年が経過しました。 昨年には一部改正が行われ、「管理不全空家」という概念も登場しました。 行政サイドとしては、政策的にモニタリングしなければならない対象が増えたわけですが、この「管理不全」をなくす、ということが基本的な空き家対策ですので、政策的に位置づけられたことは大きな一歩だと感じています。 利活用が行われる空き家 除却が行われる空き家 この出口の2つは、空き家の中のごく一部です。 利活用が行われるには、物件のコンディションに加えて、所有者の意志や事業者の参画など様々な条件が整う必要があります。 また、除却についても行政代執行まで踏み切るには、たくさんのステップが必要となります。 つまり、多くの空き家は空いている状態で存続するわけです。 これらがそのうちに周辺環境に悪影響を及ぼしたりするわけですが、 思い切って言ってしまえば、どんなに空き家が増えようとも、きちんと管理されていれば、外部不経済とも言われる悪さをする空き家は生まれてこないのです。 管理不全空家をなくす。これが一丁目一番地でしょう。 行政の空き家等対策計画 いつ・誰が、が大切 その空き家特措法に基づいて、全国の行政は自らの行政区域を対象とした空き家等対策計画を策定しています。 全国すべての計画をみたわけではありませんが、どうも計画としてのリアリティを感じないのです。 たまに「あれ、このフォーマットみたことあるぞ」という計画も散見されます。 空き家対策には、上記したように、利活用や除却と言った出口以外にも、所有者や地域の意識を高める、管理不全空家をなくす、と言った重要なテーマがあります。 多くの計画では、これらについて、「課題」として列挙されていますが、 今すぐにやるべきことはなにか いつの時点を見据えて何から手をつけるのか それを誰がやるのか と言った、時系列的な視点と、主体の視点が欠けている計画がほとんどです。 ご相談で多くいただく内容として「何から手をつけていいかわからない」というものがありますが、計画が策定された段階でも、「何から手をつけていいかわからない」状態になっているのです。 空き家に関する対策計画は、計画モノの中でもかなり難易度の高いものです。 初期の計画ではこのようなカタチでオ

タガヤスとアキヤジン

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 まちづくりの意識をはぐくむ 地道ながらも、地域に根付いた空き家対策まちづくりを行う仲間たちが集まってできた組織 それが「タガヤス」です。 任意団体から一般社団法人に体制を移行し、本格的に活動をはじめました。 そのHPがようやく完成しました。 タガヤスが行うまちづくりでは 地域の方々に少しでもまちづくりの意識を持っていただく そして、それを高めていただくことをテーマとしています。 しかし、それを座学で行おうとすると、ハードルが高い。 そして、意識を持っていただきたい方々へ届けることが難しい。 そこで、私たちは、地域の方々、そして親子で遊び楽しみながら、 いつの間にか、空き家対策まちづくりに触れ、学べるツールを開発しました。 それが、「空き家スゴロク」「空き家カルタ」です。 そして、空き家対策を行う行政の方々や空き 家対策を詳しく学びたい方々のために作成したものが「空き家対策一気通貫マニュアル」です。 心をこめてつくりあげました。 このツールは、地域のワークショップや催し物などで活用すると効果的です。 是非、問い合わせフォームからお問い合わせください。 タガヤスHP  https://tagayasu.or.jp/ 地域に根付いた空き家対策情報発信プラットフォーム 私たちタガヤスの本拠地は埼玉県にあります。 私たち以外にも地道ながらも空き家対策まちづくりを行っている事業者や団体、個人の方々はたくさんいらっしゃいます。 そのような活動は、地道ではありますが、地域を優しく照らし続けています。 今の時代だからこそ、そのような活動に取り組む方々が社会的に評価されるべきだと考えています。 このような考えのもと、タガヤスでは、株式会社地域デザインラボさいたま(埼玉県さいたま市)の協力を得て、埼玉県下で空き家対策に取り組む事業者や団体、個人の皆さまの情報発信プラットフォーム「アキヤジン」を開設しました。 毎年、少しずつではありますが、地域を優しく照らす取組みを取材し、情報を発信していきます。 この取組みにより、空き家対策まちづくりの輪が広がっていくことを期待しています。 是非ご覧いただければと思います。 アキヤジンHP  https://akiyazine.net/ 弊社、鍬型研究所は、リサーチ機能・研究機能 タガヤスはDOTANK機能 この両輪でこれからも地道ながらも活動を行って

リサーチの技術 その5 事例から学ぶこと 事例の個別性にとらわれるな

  事例の個別性、特殊性にとらわれるな! 社会問題、地域問題に対しての対策を考える際には、その問題の構造を分解して分析し、それを再構築することについては リサーチに技術 その2 で解説している。 ここでよく問題となるのが事例の取り扱いである。 よくこんな議論がある。 空き家はなぜ生まれるのか、空き家が発生しない対策が必要だ とのお題に対して、 親の家を相続した相続人が遠方に住んでいるケースがある とか 住み替えを行って前の家を放置してしまっているケースもある とか こんなケースもある あんなケースもある といろいろな事例をあげて解を導こうとするのだ。 いろいろな個別性をみることはある意味楽しいし、話題性もあり、記事にもなりやすい。 しかし、これらのいろいろなケースというのは、空き家問題が大きな社会問題になる現在だけの現象ではなく、人々が通常の営みや経済活動を行っていれば起こりえることであり、一つ一つにそれぞれの背景がある。その背景を深堀すれば無限の個別性が生まれる。 その個別性にとらわれてものを考えると、どうなるか。 「考えること、やることがたくさんあって、とても難しい」 となるわけだ。それ以上は先に進めなくなる。 このような 個別性に対してものを考えると、その結果は個別性に対する対処療法 にすぎず、根本的な対策とはならない。 もちろん、個別性の強い個別課題への対策が求められた場合には、 その個別性をできるだけ深堀すればよい。 事例から何を学ぶか 個別性が凝縮されている 個々の事例に横ぐしをさし、普遍的な共通項を抽出 するのだ。それを通して、世の中で、この地域で何が起こっているのか、なにが問題なのかの全体像を把握しようとすることだ。 だから、事例情報はたくさんあるとありがたいのだ。 しかし、決して個別性を見るためではない。共通項を抽出するために必要なのだ。 そして、 この共通項に対しての対策を考えることが優先 されるのだ。 先ほどの空き家の話を例にとると 共通項は、「結果的に空いている状態になること」であり、その背景に個別性があるにすぎない。 空き家になる一つ一つのケースに有効な対策を打ったとしても、 そもそも、家の数よりも、住む世帯の数が少ないので、どちらかが埋まれば、どちらかは空くのである。根本的な解決にはまったくならない。 この「空いている状態」を問題視すべき

どう行動すべきか

 あけましておめでとうございます。 kuwalabは本日から仕事を開始しております。 しかし、たいへんな新年の幕開けとなりました… なぜ、この日に… 私の親兄弟が新潟市内に住んでいるため、まずはLINEでつながっている兄に連絡し、状況を確認しました。 親は80歳を過ぎており、電話の呼び出し音も聞こえにくい状態なため、近くに住んでいる兄を通して状況を確認しました。 なぜ、親に直接電話をしなかったか、というと、 津波警報が出ており、避難の必要性があったため、直ぐに兄から親に連絡が入ることを想定し、こちらからの通話で通話中の状態になることを回避したかったからです。 大規模な津波の被害は各地で免れたものの、その被害は甚大なものでした。 こんな時、リアルタイムで情報を見るにはSNSが一番早いので、Xで様々な投稿を見ておりました。 すると、影響力のあるインフルエンサーや有名人が、一般車両に物資を積んでボランティアに向かうとの投稿が目に入りました。 勇気ある行動 今は入るべきではない 賛否両論の書き込みがされています。 しかし、インフルエンサーや有名人は、”何もしないやつが文句をいうな”、と現地に向かったわけです。 なによりも、驚いたのは、 他に者たちにも、”ボランティアとして現地に向かおうよ”、 と被災現場へ向かう旨を誘導していたのです。 当然ながら、現地ではボランティアの受入れ態勢もできておらず、 救命、消防、道路復旧の車両が最優先の状況です。 また、ガソリンも不足しており、土砂崩れなどの二次災害の危険性もあるわけです。 インフルエンサーや有名人の呼びかけに呼応し、被災現場に向かった一般人が二次災害にあう、車が故障して緊急車両の妨げになる、渋滞を巻き起こす、現地で対応する行政職員の手を煩わす、窃盗団などの車両を紛れ込ませる、などの悪影響は考えればわかるはずですし、なによりも、現地から”今は一般のボランティアはこないでくれ”とアラームがでているわけです。 それでも、”何もしないよりまし”論を通してしまうところが。。 ボランティアを否定しているわけではありませんし、 勇気ある行動とその行動力はたたえるべきことだし、 少しでも物資が届けられたところは救われたでしょう。 しかし、現地が受け入れできないとアラームを出している中、 他の者の被災現場入りを誘発するのは、やはり間違っている。

移住・定住を考える その3 今の時代、「定住」をどう捉えるか

  今の時代、「定住」をどう捉えるか であるが、一般的には生涯に渡り住み続けることをイメージするであろう。 つまり、終の住処も移住先で求めることになる。 しかし、そうなると、 その2 で述べている住宅双六の崩壊、ライフスタイルの多様化、価値感の多様化が問題となる。 住替え行動が標準化できず、多様性を持って行われることを考えれば、移住してきた世帯をそのまま定住を促すことは難しいということは容易に想像できる。 そうなると、ターゲットとしては以下の2つとなる。 ①終の住処を求める高齢者世帯 ②ライフステージの変化を止めてそれをあがりにしようとする世帯 この2つであれば、移住した後に、住替えを行おうとする動機が生まれる頻度が低いため、定住に繋がる可能性が高い。 しかし、そうなると、出産し、子供を育てて営み続けようとする世帯が大きく抜け落ちてしまうことになる。 この属性の人たちは、更なる住替えを行おうとする動機が生まれる頻度が比較的高い人たちである。 そうであれば、生涯に渡って住み続けるという定住の概念を変えて、 「ある特定のライフステージの期間は住み続ける」 と割り切ってしまう考え方である。 例えば、「子供を出産して義務教育を受けている期間」などである。 発想を変えれば、それ以降のライフステージに突入した際には、逆に住替えがしやすくなるような支援を行う方が居住地選択として選択されやすいのではないかと考えるのである。 つまり、「定住」というものを、特定の属性を持った世帯にターゲットを絞り、特定のライフステージの期間に限定して住み続けてもらうこととして捉えれば、政策も打ちやすくなる、という発想である。 さらに、住宅ストックの視点で捉えれば、あるライフステージの期間において居住が行われ、正しいメンテナンスを促すことにより、市場性が保持された状態で、次の移住者を迎えることができることになる。 この考え方に立てば、需要と供給のマッチングもしやすくなる。 空き家の利活用についても、ターゲットを明確にできさえすれば、官民連携体制により、計画的な利活用に誘導しやすくなる。 ライフスタイルの多様化 とか 価値観の多様化 と言われている中、「定住」の概念も変えていく必要があるのではないでしょうか? kuwalab小沢理市郎 www